旅館・ホテルを中心にコーディネーターとして日本のあちこちに出かけています。美しいもの・心和むものを見つけて綴ります。

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2014年12月03日

文太さんと私

昨夜、出張から戻りました。

世間話と、ミーティングを兼ねたランチに母と出かけ
<鳥南蛮そば>をいただいていたら、
こんな話に。


母  「文太さん、亡くなったじゃない。」

私  「そうそう、それでいろいろ聞きたいな・・・って思って、お母さんに。」

母  「数日前に、友人のNHKの記者から電話があって、
   <文太さんが清見に家を建てたのはいつかわかるか?>って。
    市役所の清見支所で調べてもわからないんだって。」

私  「ふーん・・・」

■ご近所<ののか>でお蕎麦。夜も美味しそう・・・・!





詳しいことは忘れてしまったが、
私は菅原文太さん一家と、2度食事をしている。

それも、うちの別荘に宿泊された時、2回目はうちの旅館に泊まられた際に。
文太さんの東京の自宅にも立ち寄り、お茶を飲んだりもした。


どうして、そういうことになったのか?
この旅で文太さんの訃報を聞いた私は、
母に詳細を聞かなきゃ・・・と思っていたのです。


■名古屋高島屋のクリスマスディスプレイ





私 「どうしてうちの別荘に泊まったの?」

母 「ちょうど清見に別荘を建てようとしてらして、うちに泊まってみたいと言われたの。」

私 「旅館に泊まったのはどうしてだっけ?」

母 「あの時は、もう文太さん清見に別荘を建ててらしたけどねぇ」


長男の進学のことで斐太高校のことについて聞かれたり答えたり、
  (当時、斐太高校在学中の妹は女性誌にも関係者として登場していたような・・・?)
文太さんの別荘にいらっしゃるお客様が好きだからということで、
うちの使っていないビリヤード台をお貸ししたりしていた。


そして、
私が学生時代、住んでいた東京、南荻窪の家が、
なんとまた狭いことに、文太さんの自宅と同じ町内。

ということで、     
母が上京した際に、ふたりで遊びに行ったのだった。

   
母 「覚えてない?ほら、玄関に大きなサンドバッグが吊ってあったじゃない!」

私 「そうだっけ?」

母 「そして大きな、籠目のかごに、じゃがいもがたくさん入れてドーンと置いてあったの」

私 「あー、なんとなく覚えてる!それって、物凄くお洒落な、インテリアじゃない?」

母 「そうなの、本当にステキだったの。画家だった文太さんのお父さんの馬の絵が飾ってあったじゃない!」


■実家の別荘は、手放してからプールはワインセラーに、そしてビリヤード場はレストランになっている。
 母屋はたぶんそのままで、今行っても号泣するほど懐かしい場所。

 








多分、うちの娘たちもこの話は知らないと思う。
菅原文太といえば、きっと<釜じい>の声の人でしかないのだろうな。

と言いながら、
あまり頓着しない私も、今になってようやく知ることができた
実家の歴史の1ページ。


<あの背の高い可愛い男の子>・・・と母が言う文太さんの亡くなられた長男を検索してみて、
なんだか不思議な気持ちになる。

みんな子どもで、
2家族の食事会では何かしら遊んだり話したりしたんだろうけれど、
記憶にない。


きっと気取らない、知的なご一家だったのだろう。
私がもっと大人だったら、
いろいろお話を聞きたかったな。


夜の城山をみんなで歩きながら、先頭を行く文太さんの
さほど大きくない身長を観察したことは覚えている。
父が死んで4年目くらいだったから、何となく見てたのかな?


というわけで、
今日は記録としての投稿。
人って、すぐに忘れてしまうものですね。
















  

Posted by 住 百合子 at 16:16